2020年に次女が1型糖尿病と診断されました。その事についても書いていきたいと思います。
私のもっとも印象に残っている先生は
『小学5、6年時の担任S先生』
ですね。
私が通っていた小学校は、1・2年、3・4年、5・6年と2年に一回クラスと担任が変わる学校でした。つまり、2年間はクラスメイトも担任も変わらないんです。
その時の高学年の時のS先生が一番印象に残っていますね。
私の1・2年の担任、3・4年の担任はハッキリいって良い先生ではありません。
私が小さい頃は、今とは違い、体罰当たり前でしたし、【先生は絶対に正しい】という風潮でした。
なので、
【低学年】
⚫︎理不尽な事であり得ない勢いで怒る。物が飛んでくる。
⚫︎毎日授業をせずに(漢字も九九も教えない)、児童を教室に閉じ込め(鍵をかけてしまう為、トイレも給食もほぼ無し)カーテンをして周りから見えないようにし、担任の好きな音楽(海外民謡)を流してそれに合わせて一人ずつダンスを踊らせる。児童は泣きながら。イヤイヤやる)。
※後で分かりましたが、教育委員会にまで訴えがいくほどの人でした。
【中学年】
⚫︎低学年時に授業をしてもらえなかった為(旧1年3組)、勉強が出来ない児童は教室後ろに立たせて馬鹿にして晒し者にする。
⚫︎人と違う事を認めず罵る。
⚫︎暴力を振るう。
全て【先生は正しい】とされました。
その4年間のせいで学校が大嫌いになり、食事も食べられなくなり、栄養失調で廊下で倒れ、そのまま入院になりました。
しかし。
私が両親に
『学校が嫌だ。担任が嫌いだ。行きたくない』
と泣いて訴えても、全く取り合ってもらえず、
『先生は絶対だから。お前は間違っている。ご飯を食べられないのはただの甘えだ』
と、私の気持ちに寄り添っても、話を聞いてくれる事もありませんでした。
家も学校も全て信用出来ず、心を閉ざした子供でした。
常に人の顔色を伺い、心から笑う事も出来ませんでした。
当時の写真は、真顔か、笑顔を作る為に無理矢理口角を上げた変な笑顔の写真ばかりです。笑い方が分からなくなったんです。
それが変わったのが、5・6年の高学年時の担任S先生に出会えてから。
S先生は児童一人一人を下の名前やあだ名で呼び、個性を認め、ものすごく褒めてくれる先生でした。
私は足が速く、絵が得意な子供でした。
S先生はそこを伸ばす為に、いつも褒めてくれ、私は少しずつ自信を持てるようになりました。
S先生がクラスメイトを大事にしている事も伝わってきたし、クラスメイトも皆S先生が大好きで、私も徐々に自然と笑う事が出来るようになりました。
自己肯定感が低い私が、自分を少しだけでも認められるようになったのはそのS先生が居てくれたおかげです。
あの先生が居なかったら、私はずっと自分が嫌いなままだったと思います。
高学年での担任がS先生で本当に良かった。
今でもふと思い出す先生です。
あの2年間に感謝します。